【自己満】なぜ今の仕事を楽しめているのか? | こてこてぽっかのみらいぶろぐ

【自己満】なぜ今の仕事を楽しめているのか?

2021.04.26 / 筆者の話

働き始めて1年半が経ち

今の職場が、社会人になって

一番長く勤めた場所になりました

 

今の私は、辞める気配もなく

楽しく働けているわけですが

なぜ私がえさかで楽しく働けているのか

自分なりに思い出して整理してみました

 

ここからかなり長いので

答えだけ知りたい人は

「まとめ」というタイトルだけ読んでください笑

 

 

本当は半年で札幌に帰る予定だった

 

大阪に引っ越してきた当初は

半年で札幌に帰る予定でした(笑)

 

親ともそういう約束で上京したし

だから電気家電は一つも買ってないんですわ

(今でも洗濯機は前の住人の残置物を使用してます)

 

子ども関連の仕事に興味があったから

放課後デイとかで働くか

塾の先生に戻るか

知り合いの先輩の事業を手伝うか

という未来を描いていました

 

 

一番始めのきっかけ

 

 

 

私は利用者時代に自分史を書きました

その中の「仕事」に書いた未来は

「高木さんと働く!」でした

 

でもその時の動機は

「人生で出会った中で1番論理的整合性が高くて、仕事に対する考え方が好き」

「高木さんと働いたら美しいだろうな」

くらいの程度のことしか考えていませんでした

 

利用者として自己理解を深めていくにつれ

自分が「働きたい」という漠然な想いから

「◯◯が提供したい」

具体的に明らかになっていきました

 

最後まで読んだら

なぜ想いが変化したのかが

分かる読み物になっています

 

 

高木さんのお決まり文句でビビビっときた

 

高木さんは利用者に

「自分が元気になった方法で、

他の人も元気にしたらええやん」

みたいなことを、よく言います

私はその言葉を聞いて

「ほんとにそうだ!!!」と雷が落ちました

 

自分の中で何かが繋がって

心の底から意欲が沸いて

「それなら◯◯をやりたい」

「◯◯もやったら良いかも」

と次々と行動になっていきました

 

これから

なんでその高木さんの言葉で

そんなにビビビっと来たのか振り返ります

 

 

①前職で違和感があったことを思い出した

 

新卒理学療法士時代の話

 

理学療法士として働いていたとき

入退院を繰り返しているおばぁちゃんがいました

なかなか身体機能が向上しなくて

誰がリハビリしても歩く距離が伸びませんでした

そのおばぁちゃんを私が担当したときに

筋力訓練などはほどほどに

楽しいお話を沢山聞かせてもらいました

そしたらどんどん元気になっていって

歩ける距離も伸びて

ご家族が引き取れるくらいの体力まで戻りました

娘さんに「こんなに元気に歩けるようになって…」と喜ばれたのは今でも忘れない

 

私はとてもやり甲斐を感じていたのですが

先輩から

「お前の治療はリハビリじゃない」

「おしゃべりしてただけでしょ」

と言われ、違和感を感じました

 

違和感は他にもあって

理学療法士が身体機能を向上させることで

誰かの幸せに寄与するお仕事ですが

私の中では

(歩行速度が上がったら幸せになるか?)

(体力がつくことがその人の幸せか?)

(関節可動域が広がったら幸せなのか?)

雑すぎて怒られますが

と思っていました

 

なんと言っても

私はこんなに五体満足だし

身体機能も高いけど

全然幸せじゃない!

という想いが強かったからだと思います

 

 

コンサルとの出会い

 

コンサルティングファームで働く先輩から

【コンサル】というお仕事があると聞きました

 

会社の困りごとを

論理的に整理して最適な解を提供する

というお仕事と聞きました(雑すぎ)

 

「論理的に整理して最適な解を提供する」

というのは昔から好きだったので

早速そのジャンルに転職を試みました

 

行ってみたけど一瞬で違いました笑

 

転職を手伝ってくれた先輩から言われていた

「宮崎は会社に喜んでもらいたいわけじゃないでしょ?」

「直接人を喜ばせたい想いの方が強いんじゃないの?」

という言葉が本当に刺さりました(遅い)

 

 

訪問リハへの転職

 

2箇所で働いてみて気づいたのが

誰かの幸せに直結する仕事がしたい

ということでした

そこで選んだのは訪問リハでした

 

実はデイサービスと訪リハで迷ってました

給料が良かったこともありますが

病院時代の退院カンファで

(自宅でのより良い生活について色々患者さんと考えて考えて臨んだのに)

患者さんの担当ケアマネに

「家のことは訪問リハがやるから

(あんたらは要らないよ)」

と言われた悔しい悔しい記憶を思い出し

「訪問リハなら、病院より、コンサルより、

相手の幸せに直接関われる!」

と思い転職しました。

 

 

訪問リハでの苦労

 

仕事自体は楽しかったけど

やっぱり幸せは身体機能じゃないな

心のどこかで思っていました

 

それと単純に

上司と話が通じませんでした笑

完全に私の受け取れるおちょこが小さく

在宅リハをこなせるだけの

コミュニケーションスキルがなかったです

この話はいつかまた別の機会に…

(この仕事を最後に私は倒れてニートになった)

 

こうして前職までを振り返って

誰かの幸せを作るお手伝いがしたい

と思っていたことを思い出しました

 

 

②昔の夢を思い出した

 

次に繋がったワークは

昔の夢を思い出していくものです

 

 

中学校時代

中1の頃から

心理カウンセラーになりたいと思っていました

 

いじめに遭ったり

家族とも上手くいかなかったりで

心が辛かったんだけど

心理室は学校の先生の許可が必要で

めちゃくちゃ行きづらく

(先生に言いにくかった)

私は気軽に声がかけられるカウンセラーになりたい!と思っていました

 

高校時代

 

高校2年生の時、作業療法士を目指しました

医療従事者の中でも

心のケアをしたいと思っていました

A判定だからと余裕ぶっこいてて落ちたので

後に理学療法学専攻に入学することになる

 

このワークを通じて

かれこれ10年以上前から

「心を元気に」というテーマで

生きようとしてきてたことを思い出したんです

 

 

過去の自分が繋がった

 

利用者として心の元気を取り戻しながら

「心の元気が自分の幸せだ」

「誰かの幸せを作るお手伝いがしたい」

の2つを思い出しました

 

そこで高木さんの

「自分が元気になった方法で、

他の人も元気にしたらええやん」

が三段論法的にビビビっとハマったのです

 

 

自分が心の元気を取り戻して

本当に幸せになったんだから

他の人にも同じ方法を伝えて幸せにしたい!

 

ということで

生活支援員の道が始まったわけです

 

 

③好きなことを出来ることとして活かす

 

支援員の仕事は3つあります

①利用者を増やす

②利用者を育てる

③利用者を送り出す

 

その中で私ができることを

過去に好きでやってたことを活かして

仕事を作っています

 

 

絵を描くこと、文章を書くこと

 

私は小さい頃から本の虫で

絵や文字が大好きでした

 

それを活かして

利用者時代からの呟きで

フォロワーを増やし実績を積み重ね

晴れ晴れ「できること」として

ブログを書いたり

Twitterで発信したり

事業所通信を作ったりしています

 

 

論理的に整理すること

 

もう一つ得意なことが

論理的に整理することです

 

テスト勉強のスケジューリングや

業務マニュアルを作ること

部活動の協賛集めなど…

 

今あることを整理して

優先順位を決め計画を立てたり

誰もが分かりやすいモノを作ることを

昔からよくやっていました

 

その考える力を活かして

広報面では

イベントの企画

HPサイトマップから原稿まで作った

支援面では

訓練の体系化

(私が来た当時はメディカルチェックも週間計画シートもなかった)

個別支援計画の骨子作り

(職業準備性ピラミッドに基づいて作成している)

行政書類の作成

 

など諸々のお仕事を

「やりたいからくれ!!」

と言ってやらせてもらっています

 

 

高木さんと一緒に働いたから元気になったわけじゃない

 

高木さんの下で働いたから

学べたことは沢山あるけど

 

高木さんと一緒に働いたから楽しく働けて

元気で幸せに生きているわけではない

 

自分のやりたいことを思い出して

好きなことを活かしているから楽しい

そして

それで誰かの役に立っているから

仕事として成り立っている

 

 

④誰かの役に立ちたいという意識

 

最後に利用者時代に

思い出して良かった価値観を書きます

それが「誰かを笑顔にした経験」です

 

私は自分がやって良かったことを

人に勧めるのが好きでした

「部活入らない?」

「塾の先生一緒にやろうよ」

と友人紹介がとても好きで得意でした

 

あとは吹奏楽部の発表会で

ヘアセット担当を名乗って

巻いたり、編み込みをしたり…

 

私が苦手だった文法を勉強して

生徒に教えたのも本当に楽しかった

 

人の役に立って、相手を笑顔にした経験を思い出すことで

自然と矢印の向きが変わってくる

 

今までは

「辛いから助けてほしい」

「もっと優しくしてほしい」

「配慮してほしい」

自分に向かう矢印が強かったんですが

このワークを通して

「私も誰かを喜ばせたい」

という自分から他者に伸びる矢印を見つけることができました

 

 

★まとめ★

 

振り返って読んだら

めちゃくちゃ冗長で脱線が多くわかりにくいので

まとめました

 

楽しく働けている理由

 

利用者時代に4つのワークで自分を取り戻したから

①前職で感じた違和感を振り返った

②小さい頃の夢を振り返った

③好きなことを思い出した

④誰かの役に立ちたいという気持ちを思い出した

 

これらを通じて

自分の本当にやりたいことを思い出し

好きなことで出来ることを活かし

働きたいエンジンON!になった

みたいな感じでしょう

 

 

こんなに自分のことを書いたのは初めてでした

 

これら超大作ですが、

一連の流れが

私が今こうしてイキイキと働けてる

ストーリーの一つかと思います

 

こてこてぽっかのtwitterでは

具体例というより

汎用性の高い公式として発信していたから

自分の話をこうやって

まとまって書くことはなかったんですよね

 

忘れていたことが沢山あって

思い出せて良かったなと思いました

 

3800文字を越えるブログですが

誰かの働けるようになる道のりの

ヒントになったら良いなと思って書きました

 

最後まで読んでくださりありがとうございました


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