苦しみの先に学びがあるなんて習ってない! | こてこてぽっかのみらいぶろぐ

苦しみの先に学びがあるなんて習ってない!

2022.08.22 / 自己理解

 

今日の集合プログラムの話。板書はTwitterに掲載中。

「考えることを誤解している話」は事業所ブログに書いたので、今回は「苦しみと学び」の話を備忘録としてお裾分け。

 

四苦八苦の中に学びがある?

苦しみの先に学びがあるなんて、そんな話学校で聞いたことがない。

私は超ゆとり世代なので「楽しみながら学ぼう!」みたいな教育を受けてきた。

「学びがあるから楽しい」「学びを得るために楽しもう!」みたいな感じで学びという言葉には楽しみのようなポジティヴな言葉が近くにあった。

だから、まさか苦しいことをしたら学びが得られるなんて思ってもいない。

 

利用者さんが「楽しみながら学ぶ世代だったので、苦しいことを楽しまないといけないと思っていました」と言っていた。本当にそんな感じがする。

例えば学校祭とか、修学旅行とか。

「楽しまないと学びがないけど、だからと言って逃げられるわけじゃないから、やり過ごしちゃってました。」

学校行事から逃げられないという苦しみから、やり過ごすという方法を学んでしまっている。

やり過ごすってのは、嫌な気持ちを押し殺すということで、自分の気持ちを大事にできないということ。そういった嘘ポイントを貯めてしまうことは人生にとっては学びでもなんでもなくて、ただの病気へのカウントダウンだ。

つまり私たち世代って、苦しいことから人生にプラスになることが学べた成功体験が親世代の人たちより少ないんじゃないかと思う。

 

今日の事業所ブログの話にも通ずるけど、やるべきことから逃げたいという心理が働くのは、やるべきことが苦しそうだからじゃないか?

やるべきことってのは、学びが得られる行為のこと。

本来なら学びは苦しみの先でしか得られないんだけど、苦しみから学んだことが少ない私たちは、その苦しみの先で学びが得られるフラグがなかなか立たない。

だから「苦しいかもしれないけど、やってみるか」と思えないから、苦しみを避けて生きていくことをどうしても考えてしまう。

でも苦しみを避けたら学びが得られないから、いつまで経っても成長できずに年だけを重ねて生きづらさがどんどん増していく…みたいな負のループに入っている。

 

生きづらい人が増えてるのは、そういった苦しみから学びを得る経験が少ないからじゃないか?という話をしました。

以上、集合プログラムのお裾分けでした。


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