休むのは「逃げ」かどうか | こてこてぽっかのみらいぶろぐ

休むのは「逃げ」かどうか

2021.02.10 / 日常生活管理


今日、私がフォローさせてもらってる人の呟きで
「不登校は逃げ」
「休むことは逃げ癖を作る」

ということが書いてあって

うわぁ…めっちゃ良いテーマかも!!
と思ったのでブログにしようと思いました。

えさかにも「不登校」は存在する


えさかは自立訓練という福祉施設だけど
「不登校」に似てる
休みがちな人はいないことはない(いる)

学生時代に休みがちだった人全員が
大人になっても休み癖が残るわけじゃないと思うけど

大人になって休み癖がある人は
小さい頃から休むという選択肢があった人だと思う

過去の経験が、今の選択肢を作るとしたら
休むことが、休み癖を作るってのは
あながち間違ってはいない気がする

休むことが「逃げ」になる人と「選択」になる人


休むことが
「逃げ」になる人と
「選択」になる人がいると思う


逃げるが恥だが役に立つって言葉は
自分の戦う場所を選べって意味らしい

つまり
逃げたその先には選択が待っている

だから
休んだその先には、自分の生きるための選択をする必要がある

一方で
休んだまま留まる・引きこもるって状態は
「休む」が「選択」になってない
休むことがなんだか
「課題の保留行為」になってるような気がする

逃げるは「進むための」選択肢の一つだから
留まってる人は「逃げ」になってるのかもしれない

休みが「逃げ」にならないためには?


休みたいのは「何かが叶ってないから休みたい」だと思う
何が叶わないから休みたいのか
何が叶ってほしいと思っているのか
なぜ休みたいのか?
それを言語化できたら
休む以外の選択肢が見えたり
休んだ先の選択肢が見えたりすると思う

今逃げても、自分の人生からは逃げられない



高木さんの息子さんが
高校を辞めたいと言った時
高木さんは
「辞めてもええけど10年後どうしたい?」
と聞いたらしい

今の辞める選択肢は良いけど
その先の人生が続いてることは忘れないでね
っていう凄い素敵な問いかけだと思った

休むのも、辞めるのも、選択肢の一つだけど
それで自分の人生を誰かが代わりに生きてくれるわけではない

休むときはそれを思いだせたら良いんじゃないかな

休むのも、あり。


休むも休まないも、結局は手段の一つだから
一番大事な「自分がどうなりたいの?」
って想いがあればそれで良いんだと思う

自立訓練は、それを見つける場所でありたいなと思う。




この記事をシェアする

▲ PageTop