目の前の人へのイラモヤは全て追体験だという話 | こてこてぽっかのみらいぶろぐ

目の前の人へのイラモヤは全て追体験だという話

2022.09.01 / 対人スキル, 自己理解

今日の話は最近思い出したパパとのエピソードの話。

私はよく人に対して「この人何のためにここにいるの?」「何もしないのに一緒にいる意味あるのか?」「今これ何のための時間?」と混乱することが多い。

というかみんなそういう混乱を当たり前にしているもんだと思っていたので、私が人よりそう感じている頻度が高いことを初めて知って驚いた。

どうやらこの感情にも初めての経験があって、今はその原体験を追体験している状態らしい。

 

私の原体験はパパとのエピソードだ。

私の父は夜中まで仕事をする人で、基本的に夕飯を一緒に食べるのは父が風邪で早退してくる時くらいだった(ので数年に1回)。

それを見越して母は「朝ごはんくらい一緒に子どもたちと過ごしてほしい」とか何とか言って、9時に起きても会社に間に合う父を7時に無理やり起こして、学校に行く私たちと一緒にご飯を食べさせていた。

父が楽しく私の話を聞いてくれたら良いものの、ご飯を食べているときはずっと新聞と睨めっこで話を聞いてくれないし、ご飯を食べ終わったらリビングでいびきをかいて寝ていた。

私は記憶にないのだが、今の私から想像するに「何のために起きてきたん?」「私の話聞かないなら寝とったらええやん」とブチギレていたに違いない。笑

容易に想像できる。

 

なんでこんな分かりやすい記憶を覚えてないのかというと、忘れないと生きていけないくらい辛い記憶だったからだ。

妹とも毎日喧嘩をしていて母とも折り合いが悪かった私は、父が唯一の支えになっていた。祖父母や親戚も遠方だったので、たった一人の味方だった。

だから父が私を大切にしてくれないことは、最も見たくない現実だったんだろうね。

 

案の定、私が大阪に来たばかりの過去の振り返りでは「ママとは仲が悪くパパが大好きだった」「パパが唯一の理解者だった」と書いている。笑

 

大阪に来て3年、生きやすくなったけどやっぱり定期的に大噴火を起こしていたのは、大好きな父に対する怒りを抑圧して生きてたからなんだろうと分かった。

 

ちなみにまだ分かっただけで許せていないので、自立への道のりはまだまだ遠い。笑


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