私の知らなかった“信じる”“疑う”の話
2020.12.13 / 対人スキル
自分の使わない言葉に対しては
どうしても解像度も低くなるし
脳みそに引っかからない
最近は支援をしていて
自分の解像度の薄いところが
沢山あるんだなと痛感します
今日はそんな私の解像度の低い言葉
「信じる」と「疑う」について
高木さんから聞いたことを
書いていこうと思います
“信じる”と“疑う”の根底にある想い
誰かを信じたり疑ったりという観点
実は根っこにあるのは
依存心だそうです
依存できるか「疑う」
人を疑うのは相手に依存するためらしい
相手は自分を傷つける存在じゃないか疑う
相手が自分を丸ごと受け入れてくれるか疑う
相手は自分が何しても許してくれるか疑う
疑うのってそんな想いが隠れてるらしい
相手に、自分がもたれても良い存在でいてほしい
そうできるかチェックする行為が「疑う」なんだって
依存できると「信じる」
人を信じる行為は「依存します宣言」らしい
相手を頼っても逃げないと信じる
どんなことがあっても見捨てないと信じる
何を言っても怒らないと信じる
「信じます!」は「依存します!」
という意思表明らしい
信じるから裏切られる
依存させてくれると思ったのに
そうじゃなかった!と思う人が
「裏切られる」という表現を使う
信じたのに裏切られた!は
「依存する宣言したのに依存させてくれないのか!」
という怒りが隠れている
相手に対する期待を強く持ってる人ほど
そうじゃなかった時の怒りが強く出てしまう
信じるのも疑うのも自分だけにする
何があっても味方でいてくれるのは自分だけ
信じるのは他人じゃなくて自分を信じよう
それと
社会人基礎力講座「考え抜く力」でも
高木さんが話していたけど
疑うのは自分だけにしよう
そう決めるだけで
だいぶ生きやすくなると思う!