あなたの熱意はヒト向き?モノ向き?
今回は「自分の知らない自分」にまつわるエピソードです。
私がえさかに通所しだしてからしばらくは、自分がどうして働けなくなったのか、どうして生きづらさを抱えてしまうのかを探るために自分の経験を洗いざらい振り返るという「自分の棚卸し作業」をおこなっていました。
その棚卸しの一環として、自分の本音やこれから本当にやりたいことを見つけるために、「熱意の自分史」と銘打って「自分の好きなこと」「これまで熱心に打ち込んだこと」をリストにしたのですが、それを読んだ支援員の宮崎さんから衝撃の一言が…
「Yさんは人が好きなんですね!」
社交的な人にとってはなんてことないコメントかもしれません。ですが、これまで人と関わるのが苦手でコミュニケーションを避けてきた私にとってこの言葉はまったく予想外のものでした。
宮崎さんがそう感じたのは、私のリストには他人と一緒に何かをした思い出や特定の作家さんに対する憧れなど、「人が関わるエピソード」がとても多いことが理由だそう。
私は正直「他の人も似たようなもんじゃない?」と思いましたが、これまで同じように自分史を作った利用者さんたちを見ている宮崎さんによると、モノに対する愛着をひたすら書き出す人もいれば、私のように周りの人との思い出などを交えて熱意を表現する人もいるなど、「人の話」を出す頻度は書き手によってかなり違うらしいのです。
「私は人と関わるのが好きじゃないはずなのに、どうして人が好きに見えるのだろう?」
こう考えたときに、ある仮説に行き着きました。
私にも本来は「人と関わりたい」という気持ちがあったけど、理想の関わり方が叶わなかったんじゃないか?
穏やかな気持ちで付き合いたいと思っていたのに、心地よい距離感を見つけられなかった。
相手と真摯に向き合いたいと思っていたのに、想いの交換のしかたがわからなかった。
だから、人と関わるのは苦しいものだと思って遠ざけてしまっていた。それを私は「私は人間が嫌いなんだ」と勘違いしていたんじゃないか?
自分史の作成をとおして、私のコミュニケーションに対する苦手意識は「人と関わって生きていきたい」という強い想いの裏返しだったことに気づきました。
これを読んでいるあなたはヒト向きの熱意を持った人ですか?それともモノに対する熱意が強いタイプですか?
自分史を作ることで、自分の知らない自分を発見できるかもしれませんよ…!