支援員の言葉が正解と思い込んでしまう罠
この前、宮崎さんにブログ記事の添削をしてもらった時に気付いたことの話
宮崎さんが添削してくれた時の言葉
「宮崎さんが整理してくれました。」だと「言い当てた」みたいなニュアンスになるが
実態は、いくつかの質問をして、前田さんの返答をまとめたので
「宮崎に質問されて言語化できた」「宮崎が引き出してくれた」みたいな表現になるのではないか
前田の認識
どんな質問されたか全然覚えてないし、どういうプロセスでこの結果になったのかも覚えてない
むしろ私の認識では「宮崎さんが言い当てた」と思ってる。
だから、「言い当てた」の方がしっくり来る。と感じていた。
なので、前田の認識を宮崎さんに伝えて、この件についてもブログネタにしようと、
あえて「言い当てた感」を残してそのままブログに掲載した。
「言い当てた」も違っていた
でも、その後よくよく考えると、実は「言い当てた」も違っているんじゃね?って思えてきた。
なぜなら、そもそも前田は「困っている人に自分の姿を見せる」という考えを持ってなかった。
でも宮崎さんの話から「今の自分の能力で出来ること、求められるポジションはそこなんだ。じゃぁそこに収まろう」って思考が働いた感じやったから。
やから言い当てられたわけではなく、宮崎さんの考えにちゃっかり乗っかった感じ。
それに気づいたから、今度は「なぜその思考になるのか」を考えていく必要があると気づくことが出来た。
(まだ考えれてないので、この話は一旦置いておく。)
自分の気持ちは自分の言葉で言語化する
支援員って、自分の言葉を言語化する手伝いをしてくれるから、あたかも自分の想いを正確に言語化してくれてると思いがち。
特に前田は何も考えてないことが多いので、「そうそう!そんな感じ!」と深く考えずに納得しちゃった気になってることが多いのかも?と気づいた。
やけど、支援員の言葉はあくまでも支援員の言葉。
他人の言葉って微妙にニュアンスが違うこともある。
やから支援員が言ってくれた言葉に飛びつかず、それをヒントにしながら、自分の気持ちは自分の言葉で言語化することが、しんどい自分を理解するために大切なんだなーと気づいたきっかけの出来事だった。
(でも宮崎さんの言語化力が高すぎて、ついつい頼っちゃうんやけどね(^^;)
このブログの続きを書いたので、こちらからどうぞ。