集合プログラム「チームで働く力」~集団無責任体制診断~
10月から集合プログラムでやっている「共同制作~えさか新聞を作ろう~」で作ったえさか新聞だけど、「自分一人ならもっと上手に出来るのに!」と思っている利用者さんおる?
共同制作のときのブログはコチラ
「自分一人ならもっと上手くできるのに!」と思ってる人、実際に上手にできてしまう人は、集団無責任体制の傾向があるかもしれません。
Contents
集団無責任体制って何?
例で出すとすると、綱引きでサボってる人。みんなでやるときに力を出さない人のことです。
チームになると、誰かがやってくれるだろうと思うのか、自分事として考えられなくなってしまっている状態です。
本来ならば、チームで働くということは、自分が持てる以上の能力が発揮できるもんです。3人寄れば文殊の知恵?それぞれが自分にない視点やアイデア、技術を持ち寄る。だからこそチームで集まって何かをする意味が出てきます。
「自分でやった方が上手くいく」と思っている人は、自分の視点・アイデア・技術を出せていない状態とも言えますね。
なぜ集団無責任体制になってしまうのか?
自分でやった方が上手くいく!と思っている人は、自分の能力を出していない人。とすると、なぜそんなことが起きてしまうのでしょうか?
自分の出来ること・出来ないことを理解していない
仮に自分の出来ること・出来ないことを理解できていたら、出来ることは積極的に取り組み、出来ないことは周りに頼るという選択ができます。
自分の出来不出来が分かっていないと、出来ることを出来ないと思って引っ込んでしまったり、出来ないのに提案してしまったりということが起きてしまいます。
自分の出来ることに根拠がない
たとえ出来ることを自分で把握できていたとしても、その根拠がないと、出来ることを発揮できなくなってしまいます。
自分の中で「○○だからこれは~した方が良い」と思っているとしたら、他の人の案と論理的に比較して、検討・実行することが出来ます。
しかし(よくわかんないけど自分の意見はこう)みたいなフワッとした考えしか持っていないと、他の声の大きい人の意見が来た時に「そっちの方が良いかも」と思い、たとえ不適切な意見だったとしても、流されてしまい自分の意見を引っ込めてしまうのです。
出来る自分がいる世界に住んでいる
変なタイトルにしてしまいましたが(笑)要は理想の自分像があって、それを思い込んでいる状態になっているということです。
本当はそんな能力はないし、実際やってみたらボロボロだけど、自分は出来ると思いたい人。今は能力を出す環境にないだけで、やれば出来ると思っていたい人です。
どうやったら集団の中で責任を持った存在になれるか?
単純に書いてしまうと
出来ること・出来ないことを言語化できていない人→言語化していく
自分の出来ることに根拠がない人→自分の考えを論理的に組み立てる練習をする
出来る自分がいる世界に住んでいる人→現実を見る
になりますよね。
それだと何となく物足りないような…
まずは、自分ができることを発信することが大事です。
仕事はチームの出来ないことの積み上げではなく、出来ることの積み上げで成果が生まれます。
1人1人が出来ることを表に出していくことで、チームとしての総力が分かり、そこから役割分担が始まります。とりあえず出来ることを発信しておいたら、誰かが見つけてくれるかなぁ…(笑)
もし、みんなの出来ることでは埋まらないタスクがあれば、そこはみんなで知恵を絞って出し合ったら良いので、まずは出来ることを出していきましょう。
それでも何となく、私には物足りない!もう少し言語化が進んだら、またブログにして書いていこうと思います!