足りなかったのはやる気ではなく安心だった
以前、やめたいことがやめられるようになって、生活が回り始めたことを書きました。
“やめたい”ことが少しずつ“やめられる”になるまで
その時は生活が回っていましたが、最近また滞っていました。
通所はできている。
でも家事はぐちゃぐちゃ。
タスクは山積み。
気づけば横になっている。
正直に言うと、「やっぱり私はこの程度か」と一瞬思いました。
前より良くなったと思ったのに。
回り始めたと思ったのに。
また滞るなんて恥ずかしい。
まず疑ったのは、やっぱり自分の怠けでした。
意志ではなく“構造”を疑う
以前の私は迷わず「気合いが足りない」と結論づけていましたが、今は少し違います。
まず疑うのは
意志ではなく構造
努力ではなく仕組み
とはいえ、今回はその構造が見えませんでした。何を変えればいいのか分からない。分析してもしっくりこない。
そんな時、学びのプログラムで高木さんに言われた一言が残りました。
「安心が足りないのかもね」
その時は正直、半信半疑でしたが、他に手がかりはありません。
“何が安心できないまま”になっているんだろう?
思い当たることを早速考えていきました。
未完了の蓄積
① 部屋干し問題
寒波で洗濯物を部屋干しにしてから部屋がずっと落ち着かない。
散らかっているわけではないのに整っていない感じ。
目に入るたび、ほんの少しずつ気持ちが削られていました。
大したことではないが“ずっと未完了”は地味にしんどかったみたい。
・外干しに戻す
・迷っていた収納棚を買う
たったそれだけやった瞬間に身体が少し緩みました。
放置していないだけで、こんなに違うのかとビックリ。
曖昧さは処理待ち
② 卒業へのぼんやり不安
来月、自立センターえさかを卒業予定ですが、私は、「何ができたら安心して卒業できるのか」を言語化していませんでした。
つまりゴールが未設定。
曖昧なままだと、頭のどこかがずっと落ち着きません。
・自分なりの条件を書き出す
・面談で確認すると決める
まだ答えは出ていませんが、「放置」から「進行中」に変わっただけで、身体が動き出しました。
安心とは、完璧になることではなく、“進行中だと分かっていること”なのかもしれません。
止まっていたのは能力ではなかった
この2つに手をつけただけで、山積みだったタスクが「まあ、順番にやるか」に変わりました。
能力は変わっていません。
気合いも入れていません。
ただ、安心が少し戻っただけ。
私は、やる気がなくて止まっていたのではなく、安心不足で止まっていただけでした。
自分を疑う前に安心を疑う
「怠けているだけ」
「性格だから仕方ない」
「また同じことを繰り返している」
私は長年、そうやって自分を疑ってきました。
でも今回分かったのは、滞っていた理由は「人格ではなく構造」「欠陥ではなく未完了」だということ。
それが分かって涙が出ました。
生活が重たい日
「もっと頑張る?」の前に「安心、足りてる?」と聞いてみる。
そして、小さな未完了を一つだけ“進行中”にする。
それでもまた止まるかもしれない。でも、その時はまた安心を疑ってみます。