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安心がわからない私へ

最近、高木さんが「安心」や「安全基地」という言葉をよく口にしていて、
その言葉が私の耳に残っています。

私は気持ちを言語化していくと、いつも最後に “安心したい” に行きつきます。

ただ、正直に言うと……
私は “安心” が何なのか、よく分かっていません。

“今、安心してる?” と聞かれたら答えに詰まる。
不安というほどでもないけど、落ち着いているとも言えない。
過去を振り返れば、安心していた時もたくさんあると思うけど、少しモヤがかかるような感じ……。

高木さんに、安心って何?って聞いてみた

「安心は、知識でも言葉でもなく、身体の奥が “もう逃げんでええ” と思えたときに静かに戻ってくる呼吸のことや」

“安心がわからない人” の身体のしくみ

高木さんによると、
「安心が分からないのは壊れているからではなく、安心を感じる神経が、長いあいだ緊張したまま固まっているだけ」だそうです。

「安心がわからない人は、 安心した瞬間に裏切られた記憶を持っていることが多い」
「そんな体験が続くと、 身体が ”安心=危険” と覚えてしまう」
「だから、安心しようとすると、むしろ緊張する」
「それは心の拒絶ではなく、身体の記憶なんや」

たとえば私の場合、
母がうつだった時期に生まれ、その後しばらくして弟が生まれました。

「母がうつのときに生まれた長子や上の子は、 無意識のうちに母を助けようとして “安心の代わりに責任” を引き受けることが多い」
「その後、弟や妹が生まれると、 家の中に再び “光” が戻る」
「でもその光は、“新しい命の拍(リズム)” と引き換えに、 上の子の中で “何かが凍ったまま” 残ることがある」

私は、“安心=怖い”――そんな身体の記憶を持っているのかもしれません。

この構造を聞いた時、涙がにじみました。
理由は分からないけど、涙が出る。
安心って、身体のほうが先に思い出すのかな……。

安心の “戻し方” は、頭ではなく身体から

「身体が ”安心=危険” と記憶してしまってる。 だから、“安心しよう” と頭で言い聞かせても、体は反応せえへん」
「安心は、理解しようとすると遠のく」
「身体で思い出すもんや」

戻る順番は “身体 → 心”
・呼吸をゆっくり吐く( ”いま大丈夫” と身体に伝える言語)
・背中や足に重さを感じる(重力を感じると ”支え” が戻る)
・温かいものに触れる(温かさは ”境界” を教えてくれる)
・信頼できる人の声やまなざしを感じる(他者の神経を映して整う)

この小さな積み重ねが、身体に「大丈夫」と教える “安心のリハビリ” なんだって。

支援の場で学んだこと

ある利用者さんとの面談で、私は “正しさ” を伝えようとしていました。
でも高木さんは、“安心” を伝えようとしていた。
言葉よりも先に、利用者さんが安心できる空気をつくっていたーー
そのときに、支援って知識や技術だけじゃないんだと実感しました。
私も利用者さんにとって、そんな “安心できる場” でありたいなと思います。

おわりに ― 安心は、これから育つもの

私はまだ、きっと、安心していません。
でも、少しずつ思い出していけるような気がします。

「安心は、外から与えられるものではなく、内側から芽吹いていく“息”のようなものだから」

同じように “安心がわからない” と感じている人へ。
それは欠けているのではなく、これから“本当の安心”を知るということ。

ゆっくり呼吸して、
少しずつ思い出していけますように。

自立センターえさか

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