感情(RC)が爆発して、気づけたこと2
先日「感情(RC)が爆発して、気づけたこと」というブログを投稿しました。
ブログを書くために、爆発した時の学びプログラムの動画を見直したのですが、
またまた気づいたことがあったので綴ります!
高木さんが怖くなかった&自分がめちゃくちゃだった
動画を見て驚いたのが……
高木さんが思ったより穏やかだったことです。
私は高木さんに対して、
声が大きくて威圧的で、「やっぱり私のこと辞めさせたいんじゃん!」って思っていました。
なのに、動画を見たら……そんなことなかったんです。
確かに、いつもと比較したら怒っているように見えますが、
私は、もっともっと嫌な感じに捉えていたんです。
目の前の高木さんを全く見てなかったんですね……。
あと、思った以上に、自分がめちゃくちゃなことを言っていて……恥ずかしくなりました。
こんなにめちゃくちゃなのに、相手をしてくれた高木さんすごいなぁ……有難いなぁ……
(親は付き合いきれないと思う)
プログラム終盤に向けて、自分の声のトーンが落ち着いてきて、
気持ちが治まってきているのを感じられたのも良かったです。
ちなみに、50分の動画を見直すのに2時間以上かかりました(メモ取ったり、泣いてたりしたから)。
めちゃくちゃ恥ずかしかったけど、動画のおかげで客観視できました。
客観視できてなかった
私は客観視できてなかったんだなと思いしりました。
後日、読んでいた本に、
「客観視ってどんな風にしている?」という問いかけがありました。
私は「自分の目を通して……」と思いました。
でも、客観視というのは、
空から登場人物を全て見渡しているイメージみたい。
空から、自分も相手も見る事で、
「自分が!自分が!」になりすぎず、自分自身も個人で見ることができる。
しんどさを感じた時に、こういう視点でものごとを見てみようと思いました。
強制されたからこそ出まくった感情(RC)
感情(RC)を思いっきり出せたのは、
ここ最近燻ってたものが顕在化していたからというのもあるんですが、
「出したら良いよ」という優しいものではなく、強制的なものだったのも良かったと思っています。
(私の場合は、仕事として出すように言われていました)
強制だと「出してはいけない」が薄まります。
とことん出して、泣いて、間違った認知に気づけて、RCが落ち着いてきました。
私は「学びのプログラムで出す」としっかり計画してもらっていました。
利用者さんも計画的に感情を出すということにしていけたら良いんだろうなって思います。
RCは消えたの?
……RCがなくなったとは言えません。
なんか、なんか、まだあると思っちゃう(笑)
でも怒っているというより、拗ねている感じがする。
今までずっと怒ってたからどうして良いか分からない感じなのかなぁ。
反抗期終わりかけってこんな感じだったりしますかね?
えさかのブログで、エゴグラムのタグがついた記事を一通り読んだんですが、
前田さんのブログ『子どもの反逆』の最後、
まぁRCは無い方がいいって高木は言ってるけど。
私はRCも飼いならせば可愛いんじゃなーい?って思ってるw
思わず、クスッと笑ってしまいました。
RCも一緒に楽しむくらいに考える。それくらい気軽にいた方が良いかもって思いました。
RCに向き合って、自分の抑圧された強い執着心に気づきました。
しっかり自分が自立すること。極端に執着しないこと。
心にセットして、これから成長していくぞ。