高木さんって何してきた人なの?
えさかの管理者は背が高いおじさんの高木さん。
前職は「経営コンサル」として個人事業をしていたらしいですが、実際何をしてきた人なんだろう??
なんとなく胡散臭い気もして不安!!!
と思ってしまいそうなので、隅から隅まで聞いてきました^^
高木さんがえさかの管理者になるまでの人生で、どんなことを考えて何をしてきたのか。
インタビューした記録をおすそ分けします。
Contents
小学~高校時代
小学生のころから教室を立ち歩いては授業に付いていけない子に勉強を教えていた高木さん。
そして中学・高校はいつもクラスメイトが家に来て、悩みを相談されては答えることが日課になっていたそうです。
解けない問題がないくらい数学が得意だったようで、論理的思考が幼い頃から長けていたんでしょうね。
将来の夢は数学の教師だったそうですが、両親が夜逃げしたことで教師の道を諦め公務員の道を選びます。
システム開発で本領発揮
主席合格で見事市役所に就職し教育委員会総務課人事係に配属された春、隣の学務課で担当者が自殺、係長が過労死と相次いで同僚の訃報が届きます。
急な欠員に人事係から新人の高木さんが急遽学務課に転属になりました。
そこで待ち構えていたのが大量の援助金の処理。
当時2週間で3万人の申請を対応しなければならない激務に死者が出るのも納得です。
「人が死ぬ必要がない」
そう思い、得意の数学力を活かしコンピューターオタクだった高木さんは、新卒二年目から当時の大型コンピューターでシステムを作り、手作業をコンピュータで作業できるようにしたそうです。
役所では叶えられない
その後も様々な配属先で期待に応えていく高木さん。
論理的に考える力を活かし仕事は得意だったそうで、色んな経験談を話してくれました。(多すぎて割愛)
また野球や将棋、合唱などの市役所主催のサークル活動も積極的に参加していたそうですね。
しかし29歳の夏、消化器系疾患で3週間の入院を余儀なくされます。
「このままで良いのだろうか…」
そう考え、退院明けに退職を決意し、公務員とは別の道での生き方を模索することにしたのです。
売り上げを15倍に
高卒11年の29歳で民間のIT企業に転職します。
公務員時代から得意だったコンピューターで事務効率改善システムを作る会社です。
5年後に経営コンサルタントとして独立することを目指しての修行だと宣言して入社しました。
入社1年目から公務員時代に培ったスキルで売り上げを15倍に伸ばすことが出来たそうです。
「自分たちはシステムを作る仕事なんじゃなくて、困りごとを解決する仕事なんやで」
そのモットーを部下にも伝えていき、会社を大きくしました。
とうとう5年目には営業所長に抜擢。2年間の引継期間を経て7年目に見事独立開業を叶えます。
こんなはずじゃなかった…?
独立後も大企業のシステム開発に携わるなど事業は好調でしたが、徐々にその仕事に違和感を覚えていきます。
本当はシステムを導入することで、働く人が楽になったり、働ける人が増えるサポートをしたかったのですが、
ある会社のシステム開発に携わった際、結果として人件費が削減されることになりそこで働いていた人が働けなくなってしまう事態が起きてしまいました。
「金のために人を切る仕事に加担したくないなぁ」
そう感じ、大企業から中小零細企業とのお仕事に切り替えていきます。
同友会から若者支援に
2003年に中小起業家同友会に入会しました。中小企業の社長さんが集まる団体です。
そこで会員さんの悩みに次々と応えていく姿を評価されて、翌年には理事に抜擢されました。
経営革新担当として、中小企業の社長に経営や理念づくりを教えていきます。
またその縁で知り合いの引きこもっていた息子さんに経理の仕事を教えたり、若年者支援としてJOBカフェの立ち上げにも関わりました。
同友会の繋がりで、行政からの事業を請け負うことが増えていきます。
地域密着型コンサルとして
2007年には骨折して29歳以来の入院生活でした。
「外に出たくないってことだったのかな」
そう考え、地域密着型コンサルとして吹田に限定して働くことを決めます。
そこで地域の障がい者施設に挨拶に行ったり、吹田民商さんと会ったりと吹田市内を歩き回り色んなご縁を作っていきました。
そして吹田市の産業振興条例を制作に関わったり、吹田市主催の経営塾の講師をしたり、吹田市全部の福祉事業のコンサルをしたりと、吹田市の事業に多く携わります。
出会った人の話を聞いて相談に乗るうちに仕事を任される…という流れが非常に多かったようですね。
「“犬も歩けば棒にあたる”じゃないけど、会って話せば仕事が来る」と高木さんがよく言っているのはそういう自分の経験から来ることなのでしょう。
求職者支援
前述の事業と並行して、就労移行の委託訓練事業や、大卒で仕事が見つからなかった人のインターン事業などの求職者支援の仕事を行政から請け負います。
(ここで今のえさかのサビ管や前田さんと出会うわけです^^)
働くことが出来ない人に、仕事を教える活動をしていました。
そこで愛媛でA型事業を手掛ける人に出会い、自身もA型事業所を開設することに決めます。
吹田初のA型事業所を立ち上げる
2013年、株式会社江坂-起業家支援センターを設立し、吹田で(多分)初の就労継続A型事業所を立ち上げました。
(第一回見学会は40人近くの参加者が居たそう!)
「実習という形ではなく、実際の雇用関係の中で仕事を身に付けていって欲しい」
その高木さんの想いが通じたのか、多くの利用者さんがとんとん拍子に就職していきました。
半分が利用不適当…?
A型作業所を開設してすぐ、どんどん働けるようになる利用者さんがいる一方で、約半数が通所すらままならない状態であることに気付きました。
働く前に生きることが苦手な利用者さんがとても多かったのです。
そうして生活訓練「自立センターえさか」を開設しました。
これが今のえさかが出来たきっかけですね。
働ける人は他で、働けない人はえさかで
A型事業所と生活訓練を同時にやっていると、A型事業所に利用希望者さんが沢山見学に来ました。
でもそのほとんどが生活訓練適応の方で、生活訓練に通ってもらっていました。
「当初はA型も少なかったけど、今は他のA型が沢山ある。働ける人は他のA型に行ったら良い。働けない人はえさかで生きる土台から立て直したら良い。」
そういう運びで結果的にA型事業所は閉鎖し、えさかは生活訓練一本になりました。
目の前の人の困りごとを解決していく
小さい頃から一貫して人の話を聞き、悩みの相談に乗ってきた高木さん。
公務員から民間企業、個人事業主、福祉事業と「フィールドが変わりながらもやってることは同じ」とよく話してくれます。
解が欲しい人はぜひ会ってみて欲しい
目の前の困っている人の悩みを聞いて、最適な解を提供する。
筆者の私宮崎自身も、高木さんに出会って沢山の困りごとの解決を手伝ってもらいました。
大卒で発達障がいと診断され働けなくなって心身ともに絶望していた私が、今では毎日朝起きて働けるようになりました。
「誰にも私の悩みを解決してもらえない」
そう悩む過去の私のような人がいたら、ぜひ高木さんに会ってみて欲しいです。
特に「考え過ぎだよ」「よく分からないよ」と気合とも違わない感覚論では納得できない人へ。
8割方確からしい解を一緒に見つけていけると思います。