「7階に行きたくない!」から行けるまで
実家への逃亡後、通所を再開したときは7階に戻るのだけは精一杯抵抗してた笑
だって、嫌だったんだよな〜
なぜ嫌だったのか!
・7階の利用者の中で、先に利用しているのに、まだできてない自分なんて情けない…
・ここまで散々自分勝手をしといて、戻るのが恥ずかしすぎて、この姿を見せたくない…
・バカにされたくない!
・このままだと逃亡したときの苦しさを死ぬまで持ち続けるんだったら、やめたい…
・精神的にしんどいことに向き合いたくない…
・7階のプログラムはまだやりたくない!全部やりたくない!
・7階はどうせ私の居場所なんてないよ、森さん気に入っている利用者さん居るんだから!
・やっぱり、まだ江坂の人に構ってほしいがあるな…いやだな〜でもそうだしな〜
もっとあるけど、そこから最初の一歩目。少しずつ始めた方法は3つ。
①どうしたら通所できるか、支援員さんと相談したこと。
②行きたくないけど、行ってみることを実行したこと。言いたくないけど、言ってみることも同じくやってみた
③嫌だった昔の自分と比べて、今のどっちを選択したいか考え直してみる
具体的例として、当時の私の脳内を紹介
「嫌だけどっ!本音を出さないで、このままの自分でいたら逃亡してた時と変わらないし、死ぬまで苦しいの感じるのは嫌だ!でも、一気に本音を出すには息も詰まるし、ダメって思う…だからせめて、私自身が耐えられる量だけ小出しして、本音を出して思考を変えよう…涙」
通して、支援員さんや卒業した利用者さんから教えてもらった行動をした。あり得ないほど、しんどかった。でも、私には効果があった。
理由は、行動した事実を積み重ねられたからだと思う!できなかった事実を増やすたびに、苦しくなるし、泣きたくなってたから…
そして、次の二歩目。7階に戻るまで何をしていたか?大まかに多分5つ。
①6階の集合プログラムのみ参加して、学びなおしと、複数の人のいる場に慣れること
②いくつもの想いを書き出して、前田さんと一緒に分析して、しんどい思いを変換
③前田さんに吐き出し面談を依頼し、気持ちを吐き出した
④課題解決面談で、高木さん宮崎さんと一緒にこれからどうしていきたいかについて、相談と計画を立てた
⑤7階の週間計画と週間振り返りの時間だけ参加する(1番しんどかった!!もう嫌だった!)
気持ちが折れては泣いて、またやってしんどくなって、少しは楽になって…また泣いて(笑)を繰り返していた。
結果、2月中旬から3月取り組んだことで、3月から7階に戻ることができた!(戻ってからまた大変だったけど笑)
通して、学びから腑に落とせられたこと
辛くなったら休むのではなく、辛くなって休みたいと思ったとき、どうしたら通所ができるのかを相談し、通所できるようになることが大事!
(本当は辛くなる前から相談することが必要だったなと思うけどね涙)
そして、しんどくなったらむしろ通所して、どう解決していけばいいかを紐解いていくところだと私は感じました。
今思えば、私は10代の頃に積み重ねられなかった挫折してからの復帰の仕方を訓練したんだ…と思う。
なぜなら、数回も不登校を繰り返していて、なぜ復帰できたかなんて根拠なんて自信なんてなかったし、時間の流れに任せて、なんとなく選択して生きてきたから。
そのせいか、社会人になっても、人間関係がうまくいかなかったり、仕事が両立できず相談もできずに辞めてしまってを繰り返してしまっていた…
正直、言いたくない内容で隠してきた。でも、むしろ隠したいことが解決することで、自分が生きやすくなるんだと痛感しました。
(でもまだ隠したくなる気持ちがあるから訓練中です!笑)