集合プログラム「SST」〜ソーシャルスキルが無いのはなぜ?〜
先々週の集合プログラムの話です。
毎月第3週は「SST」をやっているのですが、10月11月とやってきて、1番掴み応えのないプログラムだなぁと思っていたんです。
なぜなら、うちの利用者さんは、大卒資格持ちの方が多く、ソーシャルスキルたるものを持ち合わせている人ばかりだったからです。
わざわざ「ソーシャルスキルを教えて、練習する」ということは必要ないんじゃないか?という想いと、「そもそも集合プログラム自体が全て社会復帰のためのトレーニング=SSTだよな???」という想いがぶつかり、「SSTの集合プログラムって作ってみたけど何したら良いの!?」と悩んでしまいました。
みんなで考えてみた
そこで今回は「自分たちのソーシャルスキルについて」という名目の座談を2時間行いました。
自分たちに足りないスキルが何か、社会復帰に必要なソーシャルスキルって何か?ということを話していきました。
ソーシャルスキルがないから働けない人はいない
恐ろしいことに気づいたんです。
必要なスキルを列挙できたとしても、それがないから働けないってことはないことがわかりました。
なぜなら、そのスキルがなくても働けている人がいるからです。
例えば、身だしなみを整えるスキルというのが必要とします。でも世の中ヨレヨレなシャツを着ている人でも、バリバリ結果を出している人もいるし、マナーがなってなくても職場で愛される人っていますよね。
こんな風に「〇〇がないから働けない」というスキルはないみたいなんですよ。
働ける・働けない何が違うのか?
働ける人と、生きづらくて働き続けられない人の何が違うかというと、スキルがないのではなく、住んでいるソーシャルが違うのだそうです。
笑
住んでいるソーシャルが違う。
例えば「頭の悪い人はバカにされるべきソーシャル」で生きている人は、頭が悪くなることを極度に恐れます。
「バカ正直が損をするソーシャル」に住んでいる人は、自分は損をしないように、常に周りを疑うことが癖になっているでしょう。
仕事場では「何年かかっても一人前になるまで努力するべきソーシャル」「楽して金もらえたいソーシャル」「上司はアホなもんソーシャル」…
「楽して金もらえるソーシャル」は現実では不能なので、働いているうちに周りの世界とのギャップに悩むことが多いでしょう。
また上司の住んでいるソーシャルを理解しないまま、自分のソーシャルと同じもんだと思っていると、すれ違いソーシャルになってしまいますね笑
自分の住んでいるソーシャル(社会)がどんな世界なのか、正直考えたこともないし、言語化したこともない人が多いと思います。自分の当たり前が当たり前になりすぎて、それをソーシャルとして認識できないことも多いでしょう。
(ジョハリの窓みたいな)
まずは自分の住んでいるソーシャル(世界)はどんなソーシャルなのか、一度振り返ってみて、自分と他人の境界を知ることができ、他者とうまくやっていくことができるかもしれないですね。