普通の人になりたかった話
私は子供のころから「普通の人」を基準にして生きてきました。
いい大学に入って、いい会社に勤めて、適齢期に結婚して、それなりに安定した生活を送る。
普通がほしいと思っていました。
そして「よりよい普通」を手に入れるために、選択も努力もしてきたつもりです。
周りから見たら、そこそこ「普通に幸せ」に見えていたかもしれません。
ただ、自分で選んだ普通なのに、ずっとしんどいなと思ってました。
普通になれたら、幸せになるはずだった
振り返ってみると、私は
「普通になること=幸せになること」
という前提を、疑わずに信じて生きていました。
* いい大学に入れたら選択肢が増える
* いい会社に入れたらよい人生になる
* 結婚したら幸せ
一つ一つは、まあ、そうだね、と思います。
ただ私は、自分がどうしたいかより、
「普通ならどうか」を基準に、
進路も、働き方も、人生も考えていたからしんどかったんです。
「普通」って、誰の基準なんだろう
先日の学びプログラムで、高木さんがこんな話をしていました。
「俺が普通。周りが全部変」
最初は、
「そんなん言われてもな」と、正直あまりピンときませんでした。
でも話を聞いているうちに、
「確かにそうかもしれない」と思ったんです。
二人の「普通」が違ったら、どちらに合わせればいいのか分からなくなる。
だから、複数人での会話が苦手なのかもしれない。
いつもなんだか嘘をついている気がする。
そんな感覚があったのかもしれません。
まずは目的地の確認を
目的地を、
「普通だから」
「みんながそうしているから」
という理由で選んでいたので、
「普通の人になるのって大変だな」「生きてるのって大変だな」
と思っていました。
それは、能力が足りないからでも、努力が足りないからでもなく、
そもそも向かっている方向が、自分のものじゃなかった。
向かってる方向が自分のものだったら、楽しいと思うはずなんですよね。
さらに言うと、合わせる「普通の人」が変わると、目的地も変わります。
気づかないうちに、目指す場所そのものがいつも変わってしまっていて、
目的地もわかってなかったんだと思います。
「俺が普通。周りが全部変」
この言葉で、「自分がどうしたいか」に戻ることができました。
そもそも自分の人生なので、当たり前なのですが。
高木さんの言う通り、他人(=横)ばかり向いて歩いていたら、崖に落ちてしまう。
そんなことにようやく気がついたので、ブログでお伝えできればと思います。