自分の発信の目的はなんだったのか?
ここ最近、仕事も生活も、ずっと思うようにいかない日が続いていました。
朝起きた瞬間からしんどくて、頭も体もずっと重く、えさかの仕事でもミスが増えてきて、「なんでこんなに上手くいかないんだろう」と自分でもよく分からないループにはまっていました。
そんな状態だから、ある日ふと、全部の思考が嫌になってしまいました。
「もう全部休みたい」と心の奥から、ふと思いました。
弱音というよりも、悲鳴に近かったと思います。
先生の一言に、なぜか“違和感”を覚えた
しんどさを抱えたまま、自分ではどうしたらいいかも分からなくなり、メンタルクリニックの先生に今の状態を正直に話しました。
「最近、何をしても上手くいかなくて……仕事のミスも増えて……もう全部休みたいんです。」
先生はこう言いました。
「一時的に休んでもいいのかもしれないね。」
本来なら安心できるはずの言葉なのに、その瞬間、胸の奥がザワッとしました。
なぜだろう?と自分でも戸惑うほどの“違和感”でした。
気づいてしまった。「ああ、私が言わせたんだ」
その違和感が何なのか、帰り道にずっと考えていました。
そして気づきました。
先生に “休んでもいいんじゃない?” と言わせたのは、私だったんだ。
自分の口から「休みます」と言えば、責任は自分にあります。
でも、先生が言ってくれたら、「先生がそう言ったから」と責任を外に置けます。
無意識のうちに、私はその言葉を引き出そうとしていたのだと思います。
気づいた瞬間、ふっと力が抜けました。
でも同時に、なんだか悲しくもなりました。
「ああ、私はまだ、人に決めてもらおうとしてたんだな」と。
目的論を学んだからこそ見えた“自分クセ”
えさかでは、アドラー心理学の「目的論」を通して、
人は目的があるから行動する
誰かをコントロールすることはできない
自分の人生は自分で決める
こうした考え方をずっと学んできました。
そのはずなのに、私はまた、“自分の責任を小さくする”という目的のために、先生の言葉を引き出す行動をしてきました。
学んでいても、気づけばまた同じクセに戻ってしまいます。
でも、今回はそのクセに気づきました。
ここが、昔の私とは違うところだと思います。
目的論を知らなかった頃の私なら、「先生が言ったから休もう」とそのまま受け取っていただろうと思います。
でも、今回は立ち止まり、“あれ?今の私は、何を目的に発信したんだろう?”と振り返ることができました。
これは、えさかで学んできたからこそ得られた視点でした。
もう一度、「自分で決めて、自分でやる」に戻る
今回の気づきで、私は少し悔しくなりました。
目的論を学んでいるのに、また無意識に人を操作しようとしていたからです。
でも同時に、またここからやり直せるんだと思えました。
もう一度、1から「自分で決めて、自分でやる」を練習していこうと思いました。
えさかで学んだことは、ただの知識じゃなくて、こうして日常の中で自分を振り返る材料になっています。
これからもきっと、迷ったり間違えたりすると思いますが、そのたびに自分の目的を見つめられる自分でいたいです。