言語化するのが苦手だった私が少しずつ言葉を取り戻すまで
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自分の感情を言語化するのが、私はずっと苦手でした。「言葉にした方がいい」ということは頭では分かっている。でも、どうやったら言語化できるのかが分からない。そんな状態でした。
えさかは「必ず言語化しないといけない場所」だと、最初は思っていました。だから苦しかった。1度目の通所は、そのしんどさに耐えきれず挫折しました。
振り返ると、私は無意識に“ええ格好して、物分かりのいい子”を演じていたのだと思います。本当は「言語化したくない」「親と和解したくない」という気持ちがあったのに、それを出せなかった。出してはいけないと思い込んで、抑え込んで、結果的にその抑圧した気持ちに押しつぶされてしまいました。
2度目の通所を決めたのは、「無理に言語化しなくていい」「無理に親子課題に取り組まなくていい」と確認できたからでした。それを聞いて、初めて少し肩の力が抜けた気がしました。
再通所して最初の1ヶ月、個別プログラムでは好きなことだけをして過ごしました。筆文字をしたり、AIイラストを作ったり、クリエイティブなことに触れている時間は、言葉にしなくても自分が安心できる時間でした。
2ヶ月目に入った頃、「えさかの広報をするなら、発信の練習をしてみてもいいかもしれない」と思うようになりました。いきなり自分のことを書けなかったので、まずは高木さんの語録や、元支援員さんのつぶやきをまとめるところから始めました。
すると、不思議なことに、だんだん「自分の想いも書いてみたい」と思うようになってきたのです。気づけば、4ヶ月で40本以上のnote記事を書いていました。
面談でも抑圧していた感情を出せるようになりました。まだまだ出し方は拙くて、爆発状態ですが、少しずつ爆発してしまう自分を振り返って見つめています。
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言語化は、頑張って無理にするものではなくて、安心できる場所と順番があって、自然に出てくるものなのかもしれません。今はそう思っています。