学歴もキャリアもあったのに、なぜかしんどかった。私がえさかに来た理由
私は、いわゆる“高学歴”と呼ばれる大学を卒業し、東京の大企業で10年以上働いてきました。
20代の頃は順調で、アサインされたプロジェクトは成功。
システム障害を止め、業務フローの改善も数多く手がけ、
「淡々とやるべきことを進めて成果を出す」ことには自信がありました。
とはいえ、胸の奥でずっと引っかかっていた感覚がありました。
「なんとなく自分だけ浮いている」
その違和感は年々大きくなっていきました。
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成果は出しているのに、噛み合わない日々
同年代と話が合わない。
上司からは「リーダーシップが足りない」と言われる。
面談では「正義感が強すぎる」と注意される。
私にとっては
“正しいやり方の方が早くて安全”なだけなのに、
周囲には「攻撃的」「融通が利かない」と見える。
30代になると後輩の指導も任されましたが、そこでも噛み合わず、
気づけば “存在はするけど誰ともハマらない人” になっていました。
そして私は、少しずつ居場所を失い、休職に入りました。
1回目のえさか ー 休職して大阪へ
東京で休職しながら悩んでいたとき、X(旧Twitter)で偶然見つけたのが
「青い層」の投稿。
それは、まるで私の生きづらさをそのまま言語化したような内容でした。
“大阪に『えさか』という場所があるらしい”
そう知ったとき、私は思い切って大阪へ飛びました。
1回目のえさかでは、
「協力の練習」 と 「質問に答える型を決める」 という、
とてもシンプルな実践だけで復職できました。
東京に戻った私は、人に恵まれ、また働けるようになりました。
初めて「人と働くのが楽しい」と思えた
復職後の2年間は、驚くほど穏やかでした。
あれほど苦手だった人との協力がスムーズになり、
初めて「職場で人と働くのが楽しい」と思えたのです。
「言いたくないことは言わない」
「相手の欲しい言葉を探さない」
ただ、自分のペースで、自分らしく。
えさかで学んだ“協力の構造”が効いていると実感しました。
しかし、人事異動でやりたい仕事から外れ、
次第に社内に自分の未来が見えなくなりました。
休職した人に良い仕事が回ってこないことも、知っていました。
「ここで頑張っても、私はこの会社では成長できない」
そう気づいたとき、私は退職を決意しました。
転職しても同じ構造の中にいるだけ。なら、一度立ち止まろう。
私の経歴で転職すれば、当然似たような仕事につきます。
構造が変わらないなら、再び同じ苦しさを味わうだけ。
「いったん休んで考えたい」
そう思ったとき、自然と浮かんできたのは大阪でした。
もう一度、えさかに行ってみよう。
2回目のえさか ? 「五つの層」との出会い
二度目にえさかを訪れた時、私は衝撃を受けました。
新しく「五つの層」という概念が生まれていたのです。
そしてこれが、
今まで説明がつかなかったすべてを一気に整理してくれました。
・噛み合わない先輩
・雑談するとシーンとなる理由
・なぜか怒り出す上司
・合わない同期
・浮く私
全部ただの、
「層の違いによるすれ違い」
だったのです。
性格でも能力でもなく、“層”が違っただけ。
私は初めて、
自分の人生の地図を手に入れたような気がしました。
層が見えるようになると、人のズレが見える
五つの層を理解した上で実践プログラムに参加すると、
メンバー同士の噛み合わなさが驚くほどクリアに見えるようになります。
・どこで温度がズレているのか
・誰がどの層に固まっているのか
・なぜ平行線になるのか
まるで“透明な壁”の位置が見えるように。
私はもともとズレを直したくなるタイプですが、
今は 「待つ」 ことを練習しています。
急いで直すと、一瞬は揃う。
でも、本人が自分の層に気づかない限り、何も変わらない。
だから私は、
「隣から支援する」
「めぐりを止めず、相手のペースを整える」
このBIOの姿勢を大事にしています。
なぜ私は「支援員になりたい」と思ったのか
私は“劇的に救われた”タイプではありません。
働けていたし、生活もできていました。
ただずっと、
「うまくいっていない感」 が消えなかった。
だからこそ、同じタイプの人のズレがよくわかるのだと思います。
高学歴で、仕事もできて、生活もできる。
でも毎日どこかしんどい。
そんな人に伝えたいのはひとつ。
「あなたは壊れていない。ただ構造が合っていないだけ。」
えさかは、
その“取り扱い説明書”を取り戻せる場所です。
そして私は今、
同じように悩む人を支える側になりたいと考えています。
まとめ:東京から大阪へ。“整える”ために来た
私は東京の大企業で10年以上働き、
そして2度、えさかに来ました。
1回目は復職のため。
2回目は人生の構造を整えるため。
どちらも「来て良かった」と心から思っています。
えさかは、
会社では「変な人」で終わってしまうような人が、
“構造から”理解される場所です。
私はここで、
自分のズレを整え、
人のズレを翻訳する力を学びました。
そして今度は、その学びを支援員として返していきたいと思っています。
支援員より
能力がある人ほど、苦しさは外側から見えにくく、
周囲からも“できる人”として扱われてしまいます。
その結果、本人だけが理由のわからない孤独を抱えることになります。
そして、自分がしんどい理由を
「がんばり不足」や「性格の問題」にすり替えてしまいます。
けれど本当は、彼女が言うように、
壊れているのではなく、ただ構造が合っていなかっただけ。
そういう人が、実はたくさんいます。
ズレを抱えたまま「自分らしく生きる」ことは難しい。
能力の高さも、生真面目さも、優しさも、全部そのままでいい。
ただ、自分の層とペースに合った形で生きられるよう、そっと整えるだけ。
彼女の経験は、そのひとつの証明だと思います。
同じように「理由のわからない生きづらさ」に悩む方に、
この文章が届いたらいいなと思います。