「対等」が分からないと起きること
こんにちは、支援員の森田です。
まだ「対等」というのがまだ分かっていません。そして、対等の逆である「支配と依存」も自身で認知できていないときがあります。どうしたら気づけるのか、話を通してお伝えできたらと思います。
9月19日の学びのプログラムでは、「なぜ自分は良くない習慣を止められないのか?」というプログラムが行われました。詳細が気になる方、自立センターえさかのXで呟いているのでご覧になっていただけたらと思います。
高木さんが多く伝えてくれた中で1つだけ印象に残っていることがあります。
それは、「自分がどう生きたいか決まっていたら、悪い習慣は起きない」という言葉です。
私は、その言葉に引っかかりました。その理由は、私の中では「自分でどう生きたいか」決める際に、身近な人を目標にしてしまったとき、その人に評価されたい認められたいと思ってしまい、しんどくなってしまうからです。だから、「自分でどう生きたいか」を決めることに臆病になっていると気づきました。
そのことを高木さんに伝えました。そうすると「身近な人を目標にして、評価されたいと思うことは悪くなくて、評価する側が支配することが良くない」と高木さんは言いました。そして、「対等の経験が足りないほど、支配と依存になってしまう」とも言っていました。
思い当たることがあります。ある時まで、支配と依存になっていたと思います。そのとき、支配されていると気づけなかったのは、私に「対等」の経験が足りなかったからだと思いました。
身近な人を目標にするのはいいけれど、「対等」の関係を分かっていなければ、いつの間にか「支配と依存」の関係になってしまうのだろうと思いました。そう考えると、対等を知り経験を積む必要があると思いました。
こうして、具体的にどんなときに「支配と依存」が起きているのか、自身の状態を伝えた上で、えさかで自己分析できたり、解決の糸が見えてきたりすると思います。
もし、これを読んで興味がある方は、えさかに見学に来てみてください。