親子3人でサンドイッチになる理由(ワケ)
はじめまして。利用者のやすこです。
1年2ケ月、「えさか」で過ごしてやっと自分が好転してきた実感が出てきました。
今回、その好転したきっかけを振り返ることで、私と同じく「子供を産んだことを後悔し、
そう思う自分を責めてしまう人」に、高木さんと会って自分のことを話してみようと思うきっかけになればと願っています。
私は「えさか」に通い始めて10ヶ月が経つ頃、「抗うつ薬」を増量しても「早朝覚醒」が無くならないことを高木さんに相談しました。
高木さんからは、「相手を喜ばせることをすると、副交感神経が優位になって眠れるようになるかもしれない」から「就寝前に夫に『ありがとう』『愛しています』と言ってみたら」と提案されました。
私は今まで、娘には「大好き」と言えても夫には「愛しています」と言ったことが無く、実際に夫に言ってみても、「自分は本当にそう思っているのか?」と据わりの悪い思いをしていました。
それでも言い始めて4日後、支援員さんの指摘で気付いたのですが、それまで在宅勤務終了後でも部屋から出てこなかった夫が「夕飯作りを手伝うよ」と自分から言ってくれるようになったのです。
私も夫の変化に気付いてから少しずつ、夫を信用し始め、「言っても論理的に反論されて聞いてくれない」と口を噤んでいたのが、「夫の意見を聞いて、それを踏まえてお願いできるか相談しよう」と考えが変わってきました。
今では、夫と抱き合って「愛している」と言っていると娘も寄ってきて、娘が『ハム』私達が『パン』になって『サンドイッチ』のように3人で抱き合ってから就寝するようになりました。
また別の日、私は高木さんに「タイマーで時間を決めても、娘は遊びたくて帰ろうとしない時、どうすれば良いか?」と質問しました。回答は、「どれくらい遊ぶのか?娘に決めさせる」でした。理由は、時間通り帰宅しないことで他の時間が無くなり、自分が困ったり親がイラついてくるのを娘に経験させないといけない、ということでした。
初めは、まだタイマーで娘を無理に動かそうとしていましたが、やっと最近娘に「お花をいくつ摘んだら帰れる?」や「どれくらい数えたら魚を見るのを止めて帰れる?」と聞いて交渉し、娘と決めた帰宅タイミングで帰れることが増えてきました。
思えば、当時の私は娘を支配できず、いつ帰れるのか見通しが立たない状況等に「逆に娘に支配されている」と感じ、そんな「自分がコントロール出来ない者」をこれから20年も育てる恐怖、またそんな考えが湧いてくる自分を責めて「娘を産んだことを後悔」していたのだと思います。
今はその支配や恐怖の感覚が薄らいで「娘と交渉や相談をすれば良いのだ」と思えるようになりました。
今、この2つの出来事を振り返って私は「自分の好きなようなことをしている(ように見える)夫と娘」を「私ばかり我慢してやらなければならない事をしている」と恨んでいたのだと思います。また、その恨む気持ちは私が幼稚園~小学生の頃の若い母から感じていたモノと同質ではないか?と気付いた時、私は自分の母親の「自分のしたいことは我慢して周りに尽くさねばならない」をコピーして同じように辛くなったのではないか?と思い、私は『母とは違う道を行かねば』という考えに行き着きました。
今まで、夫や娘(横向き)、過去の幼児の私と母との関係(後ろ向き)を軸において行動していたのが今は少し、未来の自分がどうなりたいか(前向き)で考えられるようになり、自分から「試したい」という意欲が湧き上がってきた「栄養解析」の治療を試しています。
「どんな道でも花は咲いている」という科白が私の好きな漫画(※1)にあります。
この科白のように、「病気」になったことすら必要な経験だったと思えるように「えさか」の訓練を続け、高木さんから学んだことを胸に自分の道を歩んで行きたいと思います。
※1 「カルバニア物語」作者:TONO 出版社:徳間書店