【発表内容掲載】こころのバリアフリー研究会総会で発表してきました!
おはようございます!管理者の宮崎です。
実は先週の土日(2025年6月7日、8日)にNTT東日本関東病院で開催された「第11回こころのバリアフリー研究会総会」に登壇する機会をいただきまして、発表してきました。
発表は大阪府ピアサポート研修の受講者報告でして、①研修を受けての感想や、②自立センターえさかの紹介、③精神発達領域の就労やピアの在り方について、20分ほどの発表をしてきました。
この発表に向けて、ちゃんとスライドを作ったり原稿を作ったりしたので、その内容をブログでお裾分けしようと思いまして。もしよかったら読んでみてください。
Contents
はじめに
皆さまおはようございます。私は大阪・吹田市にある自立訓練事業所「自立センターえさか」で管理者をしております、宮崎未来と申します。
本日は令和6年度ピアサポート研修の受講者報告ということで、こうやって発表の機会をいただいたことで、改めてピアサポートについて、また精神発達領域のピアの在り方について、自分の中で色々と整理することができました。
ご招待くださった座長の金山さんを始め、心のバリアフリー研究会の皆様に、心より感謝申し上げます。
本日はどうぞよろしくお願いします。
自己紹介
まずは簡単な自己紹介をさせてください。私は北海道出身、平成5年生まれの31歳で、大学を卒業してすぐは理学療法士として働いていました。
社会人1年目の23歳の時にADHDの診断を受けまして、社会人3年目の秋にうつで倒れて働けなくなりました。
その後、実家で半年間引きこもった後、縁あって、現在働いている自立センターえさかの利用を決意し、大阪に転居しました。
そして2019年秋から1日2時間の非常勤支援員として勤務を始め、社会復帰も6年目となりまして、今年の春からは管理者として勤務しています。
本日は一つ目に、ピアサポート研修を受けて気付いたことや、考えたこと、二つ目に研修を受けて考えた精神発達領域の就労やピアの在り方について、最後に自立センターえさかの取り組みについて、以上3点をお話していけたらと思っております。
では早速、ピアサポート研修を受けた感想に移らせていただきます。本来もう少し自分の話をしなければならないのかと思いますが、恐らくこの研修でのエピソード自体が、私の働けなくなった理由や特性そのものを象徴しているようにも感じますので、自己紹介がてら、ピアサポート研修での出来事を紹介させてください。
ピアサポート研修にて…
今回のピアサポート研修は、私にとって少し苦しい4日間でした。講義も、グループワークも、咀嚼しきれないことが多い中、上手く言語化できずに、モヤモヤしながら参加していました。
この研修は管理者とピアがセットで受講する研修で、私は、当時の管理者で現在は法人の代表を務めている高木という者と一緒に参加したのですが、今回も発表にあたって一緒に振り返りをしてもらって、何にどう混乱していたのか、いくつかまとめることができました。今回は特に印象的だったエピソードをいくつかご紹介していこうと思います。
1つ目…ピアの専門性について
一つ目は「ピアの専門性」について学んだ時のことです。
専門性とは、「特定の領域において深い知識や経験、判断力を持ち、それを相手の課題やニーズに応じて還元、応用できること」を意味するそうです。
つまりピアとは「自身の経験を的確に整理し、相手の課題やニーズに応じて活用できてこそ、初めて専門性を持つことが出来る」と理解したのですが、研修の中では、「障害を持ったこと自体」が専門性として描かれているような場面があったり、またそれだけでなく、ICFなど「大学で学ぶような内容」がピアの専門性として紹介されていたりもしました。
このように「ピアであること」と「自身の経験を専門性として活かすこと」の違いが上手く掴めず、基礎研修の段階から躓いていました。
2つ目…ピアをどこまで配慮するか?
二つ目はグループディスカッションの中で出た「ピアをどこまで配慮するか」「ピアと共に働くための課題や不安について」というテーマの時のことです。
前半の基礎研修では、ピアは「専門性を持って働くことができる存在」と学んだ一方で、後半の専門研修では、合理的配慮の話や、労働者の権利や法律の話などが出てきました。
実際、研修に参加していたピアの中には、障害がありながらも、健常者と同じように働いている方や、サビ管など役職に付いている方もいらっしゃいました。そのため「ピア」が「働いたことがない人・働くことが困難な人」という前提で議論が進んでいるような空気感に、少し違和感を覚えました。
3つ目…矛盾を孕んだ表現に混乱
また研修全体を通して、「障がい者の権利を行使すること」に関する話題が多く取り上げられた一方で「障がいの無い方と同じような暮らしを」という提言があったり、また「障害の有無に関わらず」と言いつつ「障害を持つことを強みにして生きる」という提案があったり。一見矛盾を孕んだように感じる表現がいくつか見受けられ、うまく咀嚼しきれずにモヤモヤしていたのだということにも気付くことができました。
一番困っていたこと…
そして、今回振り返って改めて気付いたことなのですが、私が一番困っていたのは、この研修のねらいとして、この研修が「自身の経験を専門性として活かす人材の育成」が目的なのか、「働くことが困難な人に、仕事の基礎を学んでもらうこと」が目的なのか、あるいは「対人援助職が未経験な人に、支援の基礎を知ってもらうこと」が目的なのか。私はどういうスタンスで受講したら良いのかが分からず、困っていたんだと気付くことが出来ました。
研修を運営してくださった方には申し訳ないくらいモヤモヤしてしまった研修だったのですが、実はこの春から元利用者の方が支援員として一緒に働き始めてくれておりまして、次は管理者として、もう一度ピアサポート研修を受ける予定です。今回取り残した分を、新しいピアスタッフと一緒に学びを深めていきたいと思っています。
そして次は、この研修をふまえて考える「精神・発達領域の就労やピアサポートの在り方」について、私なりに整理してみたことをお話していきたいと思っています。
精神発達領域の就労について
まずこのテーマを考える上で避けて通れないのが、「精神障害、発達障害というものの理解」だと思います。
これは当事者だから感じることかもしれませんが、
私たちは
障害があるから、働けなくなったのか、
それとも
働き続けられないから、障がい者になったのか。
まるで卵が先か鶏が先かのように、因果が絡み合っている部分が、実際あるんじゃないかなと思います。
私は発達障害だから働けない…わけではない?
実際当時の私は「発達障害だから働けない」と思っていました。
でも結果として今振り返ってみると、原因はそれだけではなかったと思います。
例えば、
・健康を犠牲にしてまで没頭することが美徳だと思っていたり
・限られた時間で物事を済ませることが手を抜くことだと思っていたり
・親がこの世の人間の「標準」だと思っていたり
・「働く」ことが「金をもらうために我慢すること」だと思っていたり、
このように、私は「生きててしんどくなる考え方」を、あまりにも多く抱えていました。
だから結果として体調も崩れて、働けなくなっていたんだと思うんです。
もちろん、発達特性も影響していた部分があるとは思いますが、当時の私がその特性にだけ配慮を受けていれば働けたかというと、そうではなかったと思います。
これは支援員として、今利用者さんを見ていても感じることですが、診断は違っても、同じように「生きづらくなるような思考パターン」を持っていて、それが原因で体調を崩したり、人間関係に苦しんでいる方は少なくありません。
理解すべきは、障害か、本体か。
そう考えた時によく就労支援界隈では「障害理解」という言葉がありますが、本当に理解すべきなのは、障害そのものではなく、「その人がどんな風に物事を捉え、何を基準に行動選択をしているのか」…つまり障がい者としての前に「人間として」の根っこの部分を理解すべきなのではと思うんですよね。
その、自分の「人として持っている判断基準」が、自分自身を苦しめているということに気付き、それらを心地良く生きるために「再構築」していくことこそが、生きやすい自分づくりに大切なプロセスなのではないかと思います。
ただ、この話は「生きる上での前提」の話であって、「働く上での前提」の話はまた別だと思うんです。
働くためには、そういった自己理解という基礎の上に、まず「①仲間と共通の目的・目標に向かって協力できること」、そして「②人の役に立つマインドとスキルの準備が出来ていること」、この2つが必要ですよね。
この話は長くなるので割愛しますが、精神・発達の方は「働けなくて、働けるようになりたい方」が多いので、この人たちの就労を考えた時に、これらの働く前提を、「実践して身に付けたピア」、そして「身に付けたことの大切さを伝えられるピア」の存在が何かと役に立つのではないかと思っています。
だからこそ、私も今、「一働けるようになったピア」として、働けるようになりたい方々に、生きる基礎や働く基礎を伝える仕事をさせてもらっています。
自立センターえさかとは
そして、そんな私を育ててくれたのが、「自立センターえさか」という小さな事業所での訓練でした。
今回は残りの時間で、自立センターえさかの紹介と、私がえさかで学んで良かったこと、最後に私自身のピアとしての在りたい姿についてお話させていただこうと思います。
まず「自立センターえさか」とは、先ほどから何度か名前の出ている法人代表の「高木さん」という方が一人で立ち上げた、自立訓練の事業所でした。
高木は元々福祉畑の人ではなく、公務員や民間企業、個人事業主などを経て、障害福祉の分野に来られた方でした。特技が「仕事で成果を出すこと」だったそうですが、そんな高木さんが大事にしていることが「物事を構造的に理解し、最適解を導き出す」という考え方です。
自立センターえさかでは、その「物事を構造的に見る力」を養い、目標に対して、自分で判断して、自分で適切な行動を選んでいけるように、練習できる場所でした。
私にとっても、そこで身に付けたことは大きな財産となっていて、今の暮らしの最大の要となっています。
今日は私が学んで良かった話を、二つほど持ってきたので、ご紹介します。
私のADHDって治らないの?
一つ目は私の診断されたADHDについての話です。先生からは脳の器質的な問題だから薬を飲み続けないといけないと言われましたが、でも脳の器質的な問題なら、なぜ大学卒業までは薬を飲まずに生きてこれたのに、働きだしてからそんな急に器質的な問題が発生するんだろう?と疑問に思ってたんですよね。
これに対して高木は「もともとのASD部分がパンクして、ADHDっぽい様相を呈しているのでは?」と解説してくれました。
どういうことかというと、私はもともと論理的でない情報の処理が苦手というASDの特性が強くて、そこに寝不足によるパフォーマンスの低下だったり、対人恐怖によるコミュニケーションミスが重なることで「抜け漏れ」だったり「優先順位がつけられない」といったADHDっぽい表出が出てきているのではないかと仮説を立ててくれました。
だから出てきた最後のADHDの部分だけアプローチしても根本的な解決にはならなくて、まず寝不足と対人恐怖をどうにかする、それからASDの部分をどうにかしていこうと、ADHDが治るかどうかはそれからだ、と話してくれました。この美しい枠組みに感動して、生きる兆しが見えたのをよく覚えています。
ストレスについて
二つ目は「ストレス」についてのお話です。
ストレスの定義とその対処法については、色んな人が色んなことを言っていると思うんですけど、高木さんの「ストレスとは思い通りにならないこと」という定義に、当時の私は胸を打たれました。
「ストレスとは思い通りにならないこと」と定義したら、ストレスの対処法は大きく分けて①思いを変えるか、②行動を変えるか、の2択になりますよね。
ただ多くの人は、思いを変えるべきところで行動を変えたり、行動を変えるべきところで思いを変えたりしています。
さらに、思いの変え方を間違えていたり、行動の変え方を間違えていたり、あるいは思いも行動も変えずに結果だけ変えようとしたりする(笑)
だからストレスが消えないんだと、教えてもらいました。
当時の私は、ネットに書いてあるストレス発散法、アロマや旅行、ジョギングなどが、どこか的外れな気がしてしっくりこなかったんですよね。それが高木さんの解説でようやく本質的でリバウンドの無いストレス対処法に出会うことができたと感じ、実際それで多くのストレスを減らしていくことが出来ました。
反響
このようにえさかでは、物事を構造的に捉えることを教えてもらい、私自身、人生で未解決だった膨大な困りごとについて、仕組みから解決策まで体系的に整理できるようになり、今では自分で解決できることもたくさん増えました。
これを5年半コツコツと、積み重ねた結果、今ではコンサータを飲まずに1日8時間勤務が出来るようになりました。
大学を卒業してからは10年目になるんですけれども、やっと社会人1年目としてスタートを切れた気持ちでやらせてもらっています。
私のそのような経験や学んだことを今までSNSで発信してきたのですが、意外と多くの人に届いているようで、全国の生きづらさを抱える方が、私のブログやイラストを見て、問い合わせをくださることがあります。
特に国立大学を出ていたり、国家資格を持っているような、今までの福祉の形ではあふれてしまうような方が、「他の福祉と違う」と気付いてくださることが多く、今までも何人もの方が、転居してまで利用してくださいました。
えさかで引き継がれること
また、そうした支援を提供し続けるために、えさかでは、前任の高木さんから引き継がれる、ある言葉があります。
「指導をするな」ということです。
高木がよく言うのですが、支援員が60点で「分かった」と思っているようなことを、利用者さんが85点も分かってても「次の一歩が分からない」と相談に来ることがよくあるそうです。
それに支援員が上手く答えられない時、「難しく考えすぎだよ」「そんなこと気にしなくていいよ」「まあケセラセラでいこうよ」というような「便利な言葉」で支援を切り上げてしまう。そんな支援員が多すぎると。
たしかに、私自身も実際、そんな支援員を沢山見てきました(笑)
「支援員は、自分の知っていることを喋るのではなく、見えている世界を聞け」と。
それはえさかのモットーであり、私自身も意識している支援の在り方です。
私ができるピアサポートの形
最後になりますが、今回ピアサポート研修を受けて、そして振り返ってみて、私自身ピアとして何が出来るかを考える中で、一つの指針となるようなものに、辿り着きました。
それが「再現性を持った支援ができる存在になりたい」ということです。
実は私は、当時しんどかった時期も、ピアという存在が、「心の支え」にはなってなかったタイプでした。
し、今でも「ピアが希望になる」と言われてもイマイチしっくり来ていないのが、正直なところです。
それはなぜなら、たとえ元気になった人がいたとしても、自分がその人のやり方で回復できる保証はどこにもない、と感じるからなんですね。
そう考えると、当時の私が欲しかった支援って、支援の形が、誰にでも応用可能な枠組みとして成立していて、成果が出ること。つまり「再現性がある支援」が欲しかったと思うんです。
同じような苦労をしたかどうか、その人がどれくらい元気になったかどうかは、私のような人間からしたら興味のない話で、当時病んでいた私が欲していたものって、「自分にも応用できる何か」を提供してくれる存在だったと思います。
多分私みたいな人も少なからず一定数いると思うんです。だからこそ「自分の経験から、他の人にも演繹できる部分はどこなのかを抽出して、還元する」そんなピアサポートの形を私は大事にしていきたいと感じました。
なので、私の存在や経験が、というより、そこから導き出された機序やプロセスの方こそが、しんどい人の希望になれたら良いと思うし、その再現性を使って、多くの人の「健やかな暮らし」に貢献できたら良いなと思っています。
最後に…
最後になりますが、改めて、私が精神発達のピアスタッフとして、今こうして元気に活動出来ているのは、決して自分ひとりの力ではありません。
粘り強く付き合ってくれた自立センターえさかの高木さん、一緒に働いてくれた仲間たち、そして障害福祉サービスという制度や、それを支えてくださる地域の方々のおかげで、ここまでたどり着くことが出来ました。
これからは私が、誰かを支える側として、そして納税する一市民として、地域に貢献、恩返ししていけたら良いなと思っています。
まだまだ未熟な部分が多くありますが、こうやって一つずつ理解して、地道に課題を乗り越えていくことが、より多くの方の役に立つ一歩だと思いますので、これからも温かく見守っていただけたら幸いです。
拙い内容ではございましたが、以上で発表を終了させていただきます。
本日はご清聴いただき、ありがとうございました。
発表してみて…
改めて発表してみて、発表後に「良かったよ!」「共感しました!」と声をかけてくださる方がいくらかいらっしゃって、少しでもえさかでやってきたことが誰かに伝わったなら良かったなぁ…と安心しました。
にしても自分の「論理的なパズルがはまらないと受け取れない」という特性と、福祉の「曖昧さ」みたいなものの相性がなかなか…あれだなぁと思いました。やっぱり何年働いても福祉の世界は慣れません。
また発表後にいくつか質問をもらいましたので、その回答もおって掲載していこうと思っています!
ということで、発表内容の報告でした。