エゴグラム~CP・NPを捨てて良いワケ~
今日はエゴグラムのP(親の自我)のお話です。
高木さんがよく「CP・NPなんて0でも良い」と言っているのですが、なぜそんなことを言っているのか、ようやく理解できたのでおすそ分けしていきます。
■CP・NPの解釈の違い
生きづらくなってしまう人と自分らしく生きている人では、CP・NPに対するとらえ方が違うらしい。
自分らしく生きている人にとってのCPやNPは、カードの一枚に過ぎない。
つまり自分らしく生きるために、時と場合に応じて使う手段の一つとしてCPやNPを活用したら良いという意識で生きている。
例えば「この仕事の成果を出すために、時間を守ることより相手の話を聞くことを選択しよう!」だったり、「自分がより良い人生を選択するために、今回は相手の気持ちより自分のお金のことを考えよう」みたいな感じで。
CPやNPが人生を送る上での一選択肢として機能しているんですよね。
一方で生きづらくなってしまう人は、CPやNPが選択肢としてではなく、人生の主人公として振る舞ってるケースが多いんです。
例えば「お金を減らしたくないから、こっちの会社に転職する」だったり「人の話をよく聞いてあげたいから、時間を守らない」みたいな。
前者の例とちょっと雰囲気違いますよね。
自分らしく生きることやその場の目的目標を達成することより、CP・NPのアイデンティティを貫くことが優先されているということです。
CPやNPが人生の行動指針になってしまっているんですよね。
こういう人を「親に人生を乗っ取られている」と表現したりします。
なぜなら、自分の人生を味わうために生きているわけではなく、親からもらった価値観を使うために自分の人生を送ってしまっているからです。
自分の人生を親に乗っ取られるくらいなら、全部捨ててもでも自分で自分の人生を歩いた方が良い。
だから髙木さんは{CP・NPなんて捨てて良い」って言うんです。
なるほどな、主人公に成り上がる図々しいCP・NPはオサラバしようって意味だったんですね。
皆さんの人生の主人公は自分になってますか??