怖い上司と私の共通点(仮説)
今日は前田さんという支援員さんが集合プログラムに参加してくれて、ハッとしたことを書いていこうと思います。
■私ってめっちゃ強烈なASD人間やな…
今まで全然気にしたことないけど、なんとなく前田さんと比べて、私ってかなり変な人間なんだと認識した。
言葉がストレートで、感情を汲むとか、空気を読むとかというスイッチが切れていて、基本的に論理と美しさしか考えていないロボットみたいな人間なんじゃないかと。
多分それが行き過ぎてて外れ値みたいな人間だから、私って普通に話を聞いてもらえる人間じゃないよな…みたいに自己評価をしていた。笑
でも私の言葉って割と真に受ける人が多くて、特に利用者さんは「宮崎さん怖い」という人が結構多い。しっかり相手が私の話を聞いているということだ。
これはつまり「私に何かを投影している」ということなんだけど、私みたいな超ASDみたいな人って周りにいないんじゃないか?珍しい対象であって怖がる対象にならないのでは?と疑問に思ってしまった。
じゃぁ私に何を投影しているんだろう??
また利用者さんは「上司が怖かった」という経験を持つ人も多い。多分私と上司に共通している何かがあるんだろうと思う。
私と怖い上司の共通点は何か考えてみた。
■私と怖い上司の共通点
例えば私はAかBのどちらが適しているか?というテーマがあれば「論理的・合理的に考えて最適な方はこっち」という解を出す。
前田さんは「Aのメリットってなんだと思う?Bのメリットってなんだと思う?と聞いてあげて、失敗させるのもありかな~と思うよ」と言っていた。
そこで私と怖い上司の共通点が分かった。
恐らく私と怖い上司は、相手の思いを聞かず「最適はこっち」と解を出すんだろう。
怖い上司も「最適な方はこっち」と言うし、もっと怖い上司は「つべこべ言わずにAをやれー!」って言うだろう笑
そして何を投影しているのかも分かった。
私が怖い人は「自分の言い分を聞いてくれずに最適解を押し付けてきた親の姿」を投影している。
(私が超ASDだから怖いわけではなかった笑)
■なぜどの職場にも怖い上司がいるか?
簡単に言うと、職場は自分の思いを聞いてくれる場所ではないからだ。
職場というのは一人ひとりが対等な人間として役割分担することで、誰かに何かを提供する組織だ。
上司は常日頃2択に悩まされたとき「いかに三方良しを達成できるか」を考えている。
でも上司を怖がる部下はこの問いを「どちらが三方良しを達成できるか?」と考えているのではなく「どちらが自分がやりたい仕事か?」という意味で考えているんじゃないかな?
「AかBかどちらが適しているか?」という問いで「Aが適している」と上司に言われてモヤる時は、大抵自分が「Aはやりたくない、Bが良い」と思っている時だろう。
そして聞いてほしいのは「三方良しになるAはやりたくないのでBが良いです」という言い分だろう。
いかに三方良しになるかを考える上司に対して「自分は三方良しになる方法はやりたくない!」という言い分はなかなか聞いてもらえないんじゃないかな…
三方良しなことを役割分担して実行していくのが職場なのに、あえて「あなたがやりたいことは何?」と聞こうとする上司は逆に別の目的があるのかもしれないと思っちゃうよね…
少なくとも、親ですら聞いてくれなかったことなんだとしたら、上司に聞いてもらえるという演繹をしていることの矛盾に気付いたら良いということだ。
■100歩譲って「やりたくない」でも良い
「AがやりたくないのでBをやりたい」と思い自体が悪いことでもないと思う。
良くないのは「自分が黙っていても相手がそれを聞いてきてくれて、かつその案を受諾してくれるべきだ」と思っていることの方だろう。
しっかりと自分から上司に「私の思いを聞いてください」と働きかけよう。
そしてその思いが採用されなくても不貞腐れずに「聞いてくれてありがとう」と言えるかどうかだ。
上司に親を投影していたらそれが出来なくなるらしい。
上司に親を投影していることに気付き、投影をやめて、目の前の上司をちゃんと見ることで初めて、その上司が怖くなかったと気付くのでしょう。