働きかけ力と支配
(月)社会人基礎力
人間は一人では生きられないから、自分の目標を達成するために、他人に協力してもらう時がある。
そういう時に力を貸してもらうために、働きかけ力を発揮するんだけど、これって支配と何が違うんだろう?という話になりました。
子どもに公文をしてもらいたいから…
子どもに公文を習ってほしいけど、「公文やりなさい」と言いたくない時に、母が自ら公文をやることで、子どもが自ら公文を習いたいと言い出す…という例が出ました。
一種の働きかけ力ですね。笑
これは子どもから見たら支配に感じるのだろうか?
筆者宮崎はアホなので、そんなことも気付かず「ママと一緒の習い事したい!」って言いだして、母の思惑通りの動きをするだろうと思います。
でも中には「これは自分に公文をやらせるためのパフォーマンスなんだろうな…」と勘付いて、その想いを汲んで渋々公文を始める人もいることでしょう。
働きかけと支配は紙一重?
働きかけと協力、支配と従属って似てる構造に見える。
何が違うんだろうな。
働きかけも支配も「自分の目的を達成するために働きかけること」という観点では同じに見える。
もしかして、支配と受け取るか、働きかけと受け取るかは、その人によるのかな。
NOを許されるかどうか?
働きかけと支配の違いは、選択肢の有無なのかなという話が出ました。
依頼されたときにNOと言えるのは働きかけで、NOと言えないのは支配。
とすると、支配は受ける側の世界にしか存在しないということになる。
NOと言える人はどんな圧力があっても支配を受けることはないからだ。
それは、依頼したときに断られて腹が立つなら、それは支配したかったという公式にも繋がる。
自分がNOを言えるか、相手のNOを受け入れられるか。
NOの権利がある世界は、心地良い働きかけと協力の関係が広がり、
NOの権利がない世界は、支配と服従から抜け出せないということが理解できました。
いつからNOと言わないことを選択したのか、誰を見てNOを言わないメリットを見つけたのか。
深掘りの余地ありな議題で、とても楽しかったです!